礼文島の歴史

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礼文島にはあまり知られていない「島の歴史」があります。
沢山の人が関わり合いながら紡いできた歴史をご案内します。

縄文文化を訪ねる

 今から約4,000年位前。エジプトでは巨大なピラミッドが作られていた頃、日本では「縄文時代」を迎えていました。
 島内各地に残る遺跡から、縄文人が礼文島にも住んでおり、遺跡から出土する様々なものから彼らの暮らしぶりがわかります。数ある出土品の中でも、縄文時代後期の船泊遺跡から出土した貝のアクセサリーは、縄文人の魅力を今に伝える貴重なものと言えます。
 材料となる貝はビノスガイやサラガイ、ウバガイなど、遺跡のある船泊湾に生息する貝がほとんどで、今現在、遺跡の目の前の砂浜にはこれらの貝がたくさん打ち上げられています。もしかしたら、当時の縄文人もここから貝を拾ってきたのかもしれませんね。
 こうした貝のアクセサリーは、島外との交易に用いられていたと考えられていて、遺跡からは、島内はもとより北海道でも採れないイモガイやタカラガイ、新潟県産のヒスイやアスファルトなどが出土しています。
 この時代に生きた縄文人にとって「白く輝く貝のアクセサリー」はとても魅力的だったのでしょうが、今、時代を超えて、私たちにとっても素敵なアクセサリーをプレゼントしてくれた縄文人に感謝です。

貝製品 石製装飾品

オホーツク文化を訪ねる

 時は流れて今から約1,500年前。本州では古墳時代から奈良時代の頃。北海道では続縄文文化や擦文文化という北海道独自の文化が繁栄していましたが、礼文、利尻、稚内とサハリン南部には「オホーツク文化」というさらに異なる文化が広まっていました。
 この文化の遺跡は、北海道では主にオホーツク海沿岸に見られるのが特徴ですが、サハリンや千島列島などオホーツク海を囲む地域一帯でも発見されています。そして、遺跡の様子や出土品などから、この文化のルーツは中国東北部、アムール川河口域で栄えた古代文化だと考えられています。
 オホーツク人の暮らしは海での漁に特化しており、魚や貝のほか、鯨や海獣(トドやアザラシ)を捕獲していました。ですので、石器以外に骨角器という動物の骨や歯などから作る道具の製作を得意としていました。中でも、特定の動物や人物をモチーフにした像は精巧に作られており、島内ではマッコウクジラの歯で作った熊と女性の像が出土しています。
 この女性像は、道内で出土された同種の像の中でも、完全な形で残っている唯一の像であり、その神秘的な姿はまさに「礼文島の女神像」と言っても過言ではありません。

歯牙製女性像

アイヌ文化を訪ねる

 時はさらに流れて今から約400年前。本州では江戸時代の頃。当時の北海道は蝦夷地と呼ばれていて、渡島半島の一部を除く、ほとんどの地域にはアイヌが暮らしており、彼ら独自の文化が栄えていました。
 礼文島にもアイヌが暮らしいたことが文献や絵図からわかっており、その頃のアイヌ人の暮らしは、川や海での漁を中心に、和人と交易を行なっていたことなどが、遺跡の調査や当時の和人の記録からわかっています。
 しかし、和人と関わりが深まるにつれて生活が不自由になってきたり、天然痘など和人がもたらした病気にかかり命を落とすることもありました。また、時には、漁場や狩り場をめぐってアイヌ同士が争うこともあったようで、島内には礼文アイヌと磯谷アイヌが争ったことが、今では沢山の観光客が訪れる桃岩を舞台とした「桃岩物語」として残っています。
 この他にも島内には、アイヌにまつわる伝説として「見内神社の見ないカムイ伝説」や「久種湖物語」などがあります。
礼文島のアイヌは明治時代以降に急速に人口が減り、生活資料などはほとんど失われてしまい、今ではかつての暮らしの実態がよくわからなくなってしまいました。しかし、礼文島アイヌが島内各地で暮らしていたことは、島の地名の由来となって今に伝わっています。

 北海道を語るキーワードは様々ありますが、近年『縄文』という言葉がクローズアップされています。縄文とは、縄文時代や縄文文化、縄文遺跡や縄文人など一括りにした表現とも言えますが、クローズアップされるきっかけとなったのが、平成19年に北海道から初めて選ばれた国宝が函館市の『縄文時代の中空土偶』であったこと、平成21年に『北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群』が世界文化遺産登録のための暫定リストに掲載されたことにあると言えます。また、これら縄文時代の遺跡や遺物、縄文人の精神等を町づくりに活かしていくため、当町を含む道内自治体で構成する「北海道縄文のまち連絡会」が設立されており、『北海道の縄文遺跡や縄文文化』が様々な形・媒体によって世界に発信されていくことに期待をよせています。
 礼文島には、現在55ヶ所の遺跡が確認されており、その内13ヶ所が縄文時代の遺跡です。遺跡は島の北部の船泊湾沿岸、東海岸の上泊地区などに分布しており、礼文島は知る人ぞ知る「遺跡の島」でもあり、平成25年には船泊遺跡の出土品が国の重要文化財に指定されました。
島の宝が国の宝となった今、礼文島を訪れる多くの方々にその魅力を知っていただき、太古から人が行き交う北の島に思いをはせていただければ幸いです。


礼文町教育委員会
学芸員 藤澤隆史

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